GREETING
栗原誠一郎 就任に当たっての御挨拶
/ 就任にあたってのご挨拶
生年月日
1969年2月3日生まれ。父、母、姉の4人家族の長男として生まれました。
出身地
岡山県玉野市。玉野市は造船の町であり、瀬戸大橋ができるまでは、本州と四国を結ぶ航路の拠点として栄えていました。
家族構成
私、妻、娘の3人家族です。
代表取締役所長
栗原誠一郎
SEIICHIRO KURIHARA
謹啓 時下益々御清栄のことと存じ上げます。
所長からの皆様へのご挨拶にありますように、本年4月1日から当研究所の経営を引き継ぐことになりました。前職時代の20年前から主要事業の一つである「錬成講座」の講師を担当してきたものの、改めて身の引き締まる思いです。
当研究所は50年の歴史がある会社ですし、クライアント企業の各社様とも非常に長いお付き合いをさせて頂いております。したがって、この50年の間に鍵山、太田と歴代所長が築き上げてきた当研究所の理念や、企業およびそこで働く企業人のあり方に対する想いは引き継ぎつつ、私、栗原としての新たな価値をご提供していきたいと思います。
今後とも何卒宜しくお願い致します。
敬具
2017年3月21日
栗原誠一郎
/ 栗原誠一郎ヒストリー
いじめられっ子からの脱却
幼少期は小児喘息を患っており、基本的に身体が弱く、運動もあまり得意ではありません。
気の弱い子供だったせいか、よくいじめにあい、根暗な小学生でした。
しかし、小学校3年生の時の担任の先生に、「自己肯定力」を授けてもらいました。
その頃、勉強はそこそこできていたので、そのことを一つの強みとして認識させてくれたのです。
私はその時期を境に、外交的・積極的な性格になり、主体的・行動的に生きることができるようになったのです。
そして、いじめられることもなくなりました。
自分に関する「客観的事実」は何も変わっていないのに、考え方次第で結果が変わるという大きな経験でした。
ライフワークとの出会い
その後、高校・大学と比較的順調に進学したのち、大学卒業後シンクタンクに入社、経営コンサルタントとなりました。
そうして、経営コンサルタントとして人事関係のプロジェクトをメインに仕事をするようになった27歳の時、今の会社と出会うことになります。
当時、私の上司が、たまたま今の会社の先々代の所長である鍵山と知り合い、意気投合。
その鍵山から
「人材育成のための合宿研修をやっているから、一度来てみませんか?」
と業務提携を視野にいれたお誘いを受け、その上司がその研修に参加。
そして、その上司から、
「非常に良い研修だったから、君も受けてみないか」
と言われました。
当時の私は
「1週間の合宿研修なんて気が重いな、、、」
と思いながら、参加したのを覚えています(笑)
なぜなら、その当時、自分自身が受けてきた研修と言えば、ビジネススキルを中心とした研修ばかり。
個々のテーマとして勉強した気にはなりますが、経営コンサルティングの場で本当に役に立ったという実感はあまりなかったからです。
しかし、この1週間の合宿研修は、人生そのものを見直す機会となったのです。まさに、私のターニングポイントの一つとなりました。
この研修は、「企業人として如何に生きるべきか?」を探求し、自己の理想・信条を確立することがテーマなのですが、如何に自分が世の中のことも、企業のこともわかっていないか。
そして、自分自身が物事や自分の人生そのものについて深く考えていないかということを痛感させられたのです。
それから、会社との業務提携の一環で、毎年、合宿研修のサポートをすることになりました。
新入大卒の研修の受講生が、リーダークラス、課長クラスと一段成長するたびに参加し、講師は「よく戻ってきたね」と迎え入れる。
節目節目で自分を見つめ直し、自分の志や世界観を確立していくための環境を提供する。
そして、こうした受講生の中から次代の社長や経営陣が生まれていく。
我々が各企業の経営を担っているわけではありませんが、本当に素晴らしい仕事だと思いました。
会社を引き継ぐことを決意
今の会社には後継人材はいませんでした。しかし、私もサラリーマンとして20年以上働いている自分が、この会社を引き継がせてほしいとはなかなか言い出せませんでした。
ところが、人生とは不思議なもので、ある人との出会いの中で会社を引き継ぐ勇気が生まれ、現在に至っています。この過程にもかなり紆余曲折がありましたし、これからも紆余曲折があるでしょう。
でも、一度きりの自分の人生なのだから、これからも自分が信じる道を歩んで行きたいと思います。そして当然幸せな人生にしたい。
自分が幸せになることと、世の中に貢献することの接点が、この仕事にはあると思っています。
企業という場を使って自己実現するという志を持ち、日々、目を輝かせながら仕事に向き合い、結果としてその企業にも貢献し、輝ける企業の輝ける人材になる。公私ともに充実した日々を送り、死に際に企業人という人生を選択して本当に良かったと思える。
そのような「一流企業人」への道を、クライアント企業の社員の皆さんと共に歩んで行きたいと思います。