前回までBCPの意義や作成上のポイント、実際の作成ステップをご紹介してきましたが、今回は実際に作られたBCPの事例を紹介していきます。
先ず、多くの企業で作成の必要性が叫ばれている製造業について、中小企業の事例を中心に見ていきます。
日本の製造業は完成品メーカーを頂点として、多くの企業が関係し合う分業構造や、サプライチェーンを構成しています。
そういった意味でも、BCPは重要な経営戦略の一環でもあると言えます。
株式会社生出(包装資材・緩衝材メーカー 東京都) の事例
事業内容
情報通信機器、測定機器、分析器などの日本を代表するハイテク精密製品の緩衝包装設計・製造を得意とする、社員58名の専門メーカーです。
同社の顧客企業は自動車部品製造業、エレクトロニクス、医療機器・医薬品、通信機器など300社にも上ります。
取引先の製品一個一個の特性に合わせた包装材料を設計するため、その品目数は膨大になり、災害が発生して操業が出来なくなった場合、多くの企業の活動に支障が出るような存在です。
BCP取り組みのきっかけ
同社がBCPを意識し導入を検討したのが、2009年に起こった新型インフルエンザの大流行でした。
「仮に自社の社員の多くが感染して出勤できなくなってしまったら、会社の業務が止まり、お客様に多大な影響が出てしまう。」と考えた同社社長の生出氏が、対策の必要性を考えました。
たまたま、早期に新型インフルエンザの流行が終息したために、実際の策定には至りませんでしたが、その直後、人工透析液を製造している得意先企業から、パンデミックや災害時における事業継続体制に関する要請があり、生出氏はBCPの作成を決意します。
BCPの取り組み内容
同社は東京都のBCP策定事業に参加してBCPを構築しました。
BCPの目的には、
①安心して働ける職場をつくる
②安心して取引してもらえる会社をつくる
③継続的改革が進む組織風土をつくる
という3つを掲げました。
同社では、自社を取り巻くリスクを総合的に分析した結果、近くに立川断層という活断層があることから、地震を想定したBCPを策定しました。
具体的には、施設内の危険箇所の把握、商品や機材の転倒・落下防止、OA機器の固定、ガラス類の飛散防止、備蓄などを基本とし、さらに自社が生産できなくなった場合、取引量の多い取引先や、社会的に影響が大きい取引先に対しては、自社と他社を含めた5社間で「相互委託加工契約」を結び、「抜型」などの生産のために必要な情報を共有し、いつでも代替生産ができるようにしています。
本事例の特徴、学ぶべき点
同社の取り組みの特徴は、パンデミックなど、外部の災害の恐れを自社のこととして捉えていることが特徴的であり、取引先の要請に応えて、代替生産体制を確立していることなどにもBCPに対する本気度がうかがえます。
さらに同社は、BCPを通じて取引先に安心感を与えたため、仕入先を多重化していた取引先から同社に一本化するなど、BCPを経営戦略として積極的に活用していることも、大きな特徴です。
【参考】中小企業庁 BCP 等の取組事例集
【参考】株式会社生出
株式会社国分電機(配電盤メーカー 東京都)の事例
事業内容
配電盤、制御盤、分電盤等の電気設備製造・販売および同改修工事を主な業務としている企業です。
同社の配電盤は、六本木ヒルズ、横浜ランドマークタワー、新丸ビル等の超高層ビルや、病院、学校、駅、空港、映画館、デパート等、ありとあらゆる場所で採用されています。
西新宿の都庁を始めとする高層ビル群の70%以上の建物に同社の製品が使われているほどです。
BCP取り組みのきっかけ
2004年の中越地震の際、取引先が被災し、事実上工場の操業がストップしたのを見た同社社長国分直人氏が「自社が同じ状況に置かれたらどうなるだろう」と感じたことがスタートになっています。
さらに、配電盤事業は同業者が国内に400社ほどあり過当競争の業界なため、もし、災害が起こって自社が生産できない状況に陥ったら、顧客の流出は免れないのではという危惧からBCP策定に着手しました。
BCP発動状況
2010年の11月にBCPを策定した直後の東日本大震災で、いきなり同社はBCPの発動を余儀なくされます。
地震により、同社の茨城県常陸大宮市にある工場が被災しました。当初、安否確認は携帯電話で行う計画にしていましたが、全く通じず、最初から計画が頓挫してしまいます。
被災当日、工場長と副工場長が東京出張でしたが、現地で課長職の社員が指揮命令に当たり、混乱は起きなかったようです。
実は同社では、責任者が二人とも不在の時に茨城工場が被災するというシナリオを描いていました。
幸い津波の心配はありませんでしたが、震度6強の揺れで、建物の一部天井が落ちたり、壁が崩落したりするという大きな被害が出ました。
当初の計画では茨城工場が被災した場合は、鹿児島にある工場で代替生産を行う予定でしたが、鹿児島工場の生産能力は茨城工場の7割ほどで、作業員の移動や物流の切り替えの手間と時間を考えると、簡単に決定できる状況ではありませんでした。
被害の状況がはっきりしたのは3/13(日)のことでした。ライフラインは、電気・ガス・水道のすべてが止まっており、工場内の機械も位置ずれを起こし、ボイラーの配管や配電盤の塗装廃液の浄化装置も被災している可能性がありました。
しかし、機械類に大きな損傷が無かったため、ライフラインの復旧を待って茨城工場の操業再開を目指すことにしました。
さらに、こうした状況の中でも、取引先に対しては被災状況の説明には慎重に言葉を選び、状況が確認でき次第連絡をすることを伝え、冷静な対応を行いました。
結果として被災からわずか12日目で80%まで生産体制を回復させることが出来ました。
本事例の特徴、学ぶべき点
同社のBCPに対する取り組みには、過酷な競争状態を生き残るという、「災害とは別次元の競争に備えている」という特徴があります。
つまり、同業界には操業停止イコール顧客流出という現状があったからです。
そのため、計画には管理者不在の際の対応方法や、代替生産のシナリオなど、現実的な計画が見事に功を奏し、最短時間で操業再開を果たしています。
【参考】株式会社国分電機
まとめ
BCPの計画策定プロセスと発動事例について、中小製造業の特徴的な事例を紹介してきましたが、いかがだったでしょうか?
ご紹介した2企業は、何れも災害時における早期の操業再開の重要性を強く認識しており、尚且つBCPを経営戦略の一環として捉えていることが感じられたと思います。
業種業態は違っても、そういった考え方を持つ中小製造業は、BCPを単なる計画ではなく、実利のある計画として活用できていくことでしょう。
著者:hanbaishi
中小企業診断士。専門は経営・マーケティング・起業家指導・IT化支援。・TBC受験研究会にて診断士講座講師、福岡県産業・科学技術振興財団ベンチャースクール講師を経て、現在、専門学校で販売士検定・起業論・就職指導を行う。著作「中小企業のためのASPサービス導入に関する調査・研究(中小企業診断協会)」「繁盛店への道(財団法人福岡県企業振興公社刊)」等。趣味は黒鯛の落とし込み釣り、魚料理。