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日本における労働組合のあり方

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第1部 現代企業の経営理念
第2章 日本的経営理念のあり方

第3節 日本における労働組合のあり方

以上のような、事実としての企業と従業員の運命共同体的関係をふまえれば、「従業員の経済的地位の向上」をめざす労働組合としては、その目的追求のために、企業業績の向上に協力せざるをえない。厳密にいえば、会社の施策が業績向上につながるときはこれに協力し、会社の施策が適切さを欠くときにはその修正改善を求め「経営改善」をはかることをつうじて、高生産性を実現し、それを前提として高賞与・高賃上げという公正な分配の実現をめざすことが、理にかなった労組合のあり方となる。これが、日本における労働組合運動の、合理的にして唯一のあり方である。

ところが、過去には無視できない影響力をもち今でも一部には残存する左翼組合は、「会社と対立するのが本来の組合で、会社と協力するのは御用組合だ」と主張し、会社と協力することをもって「民主的労組」を御用組合呼ばわりした。

経営と従業員が、なんらの利害の共通性もなく、その利害が全面的に対立しているならば、労働組合が経営に協力することは誤りであろう。しかし「事実」はそうではない。経営と従業員は、成果(付加価値)の配分においては、一時的に対立する側面はありつつも、利益・賃金の原資となる付加価をふやすという面では、利害は一致しており、とくに日本のように終身雇用制であれば、企業の成長は、明らかに、従業員の経済生活にとってプラスであり、利害は一致している。したがって、従業員が主体となって、従業員の任済生活の向上をめざす労働組合としては、生産性の向上と企業業績の向上を経営と協力して実現し、それをつうじて経済生活の向上をはかることを意図するのは当然のことなのである。

このような基本的事実を無視して、十九世紀的イデオロギーに固執して、労使の「人為的」対立をあおり、相互の不信をかきたてる左翼組合のもとでは、生産性は向上せず、企業は衰退し、したがって、従業員の生活も向上せず、労働組合の本来の目的を裏切ることになるのもまた当然なのである。

左翼労働組合は、一方では、イデオロギー的独断にもとづき、会社敵視の宣伝・扇動をこととし、労使一体の生産性向上を阻害する。左翼組合の主たる害悪はストライキなどの物質的打撃にあるとはいえない。ストライキによる損失などはとりかえすこともできる。むしろ、企業を敵とし、経営者を敵として「会社のなすことはすべて悪」という悪意の宣伝・扇動によって会社不信・会社敵視の雰囲気をつくり、従業員の勤労意欲、生産性向上意欲を阻害し、生産性向上への協力をことごとく妨害すること、ここに左興組合の主要な害悪がある。会社がどれほどよい施策を打っても、左翼は「うまそうにみえるが、それは毒マンジュウだ」という。このような宣伝・扇動で、感情を害し意欲をそがれない人はあるまい。左翼組合の、この種の宣伝・扇動は、「毒マンジュウ説」というべきものである。かくて、左翼組合のもとでは、生産性の向上が阻害され、成果・原資そのものがしだいにやせ細ることになる。

他方では、左翼労働組合は原資をやせ細らせつつ、「賃金は生計費で決めるべきであり、年齢別一律賃金とすべきである」という珍理論(マルクスでさえ賃金は「労働(の質量)に応じた分」を主張しているのに!)をもてあそび、欲望=生計費にもとづく、業績を視した、過大な労働条件の引上げを力ずくでごり押ししようとする。分配における対立を絶対化し、かつ「賃金は力関係で決まる」という断定のもとに、ごり押しで賃金をぶんどる、というのが左翼組合の行動である。このようなときは経営者が弱腰かつ無責任に彼らの要求をのむと、左翼組合は、「闘争で勝ちとった」と錯覚・増長してますます要求をエスカレートし、たちまちのうちに、業績を無視した労働条件の過大な引上げで経営は行き詰まる。経営が行き詰まっても、左員組合は「われわれの獲得した労働条件で経営ができないのは経営者の無能のせいである。会社がつぶれても代わるのは経営者の首だけだ。建物も機械も残る。われわれは代わった経営者に再び姿求をつきつければよい。倒産を恐れるな」というような一見勇ましい、その実、幻想的な主張でなおもごり押しをつづける。しかし実際に倒産すると、左翼組合が居すわるような会社はとても再建できないから、清算されるだけのことになる。全従業員は失職し、極度の経済的打撃をうけ、労働組合の目的に100%反することになる。そして会社がなくなれば「企業別労組」であるその会社の左翼労組合すらもなくなる!。左翼組合の行動は、まことに犯罪的といわなければならない。

そもそも「左翼組合」は共産主義イデオロギーに立脚している。従って「左翼組合」は経営内の労使関係を階級対立の関係とみる。そして、共産主義思想によれば、労働組合運動の究極の目的は、労働組合を「共産主義の学枚」たらしめること、すなわち、共産主義イデオロギーを信奉する人間をつくりだすことである。このために、労働者の日常要求をとりあげ、そのなかで企業を敵とする宣伝・扇動を繰り返し行なうことにより、革命を志す人間をつくりだすという路線がとられる。「左員組合」の指導部にとっては、改良は革命の手段であり、労働組合は、革命の基本部隊、精鋭部隊をつくるための予備的組織(「労働者のもっとも近づきやすい組織」)として究極的に位置づけられている。このような、現状認識の誤りについては、すでにふれたので採り返さない。ここでは、「左翼組合」の幹部にとっては、労働組合運動は、究極的には「手段」であること、組合活動の本来の目的(従業員の幸福)も、革命の精鋭をつくりだすという究極目標のまえには二次的な意味しか与えられないこと、彼らにとっては、組合の本来の目的は果たされずとも共産主義を信奉する人間をつくりだせば、それで基本目的は果たされること、したがって、「左翼組合」の活動の結果として倒産・失業という従業員にとってのこのうえない不幸がひきおこされようと、共産主義者がふえれば、彼らにとっては十分目的が果たされるということ、これらを確認しておけばよい。

過去、左翼組合の暗躍を許した会社は軒並み倒産の憂き目にあった。労使が相協力しても経営にはなかなか困難が多い。労使対立が人為的に煽られるような会社がたちゆかなくなるのは当然である。倒産とともに左翼分子のみならず、その戦闘的言辞に乗せられて付和雷同していた一般の組合員もあげて失職する。その時になって後悔しても「時既に遅し」である。こういう経験が採り返され、結局の所、左翼組合とつき合っても百害あって一利もないことが明白になり、一九八〇年代にはまともな民間企業では左員組合はほぼ消滅した。

然るにこの世の中で、非常識をやってもつぶれない会社がある。それは国営企業である。こうして一九八〇年代には国営企業に左翼組合が巣食い、民間企業では労使協力の組合が主流となる構図が生まれた。

ところが国営企業もどんどん民営化される時代になるにつれ、左翼組合はますます存在する余地がなくなって来た。これに加えて、共産主義体制の全面崩壊である。
かくして、日本では労使協力型の組合が圧倒的主流になるに至ったのである。

以上検討したとおり、「会社と対立するのが本来の組合で、協力するのが得用組合」という左翼的思考は、まったく誤りである。

それでは、「御用組合」と「民主的分働組合」はとこが違うのか。

「御用組合」とは、「なんの目的も理念も理論もなく、無条件に企業に迎合し、その御用をつとめる」組合をいう。

なぜそうするのかといえば、御用をつとめることによって労組幹部の目さきの私利私欲が満たされるからである。そのような点からいえば、御用組合の本質は「幹部の目さきの私利私欲に利用された組合」というべきである(したがって、厳密にいえば、御用組合は、つねに経営に迎合するばかりのものであるともいえない。左翼的言辞で労使対立をあおり、争議寸前までの状態にして、組合が会社から金をゆすりとって、紛争を収拾するようなかたちの御用組合もある)。

なんの理念もなく、無条件に経営に迎合して御用をつとめていて、従業員の経済生活の向上がはかられるならばそれでもよいといえるかもしれない。しかし「事実」はそうではない。経営者は神様ではないから経営の理念や志向・方針がつねに正しいという保証はどこにもない(もしそうであればおよそ世の中に倒産する会社はなくなるだろう)し、誤った経営の志向や方針に迎合すれば、従業員の生活の基盤たる企業の危機をはやめることにもなりかねない。また、労働条件の決定にあたっては、経営はどうしても、将来の安全度をみこんで、収益性重視という思考に傾きやすいので、従業員の意向と単純に一致するとはいえない。すなわち、御用組合では、労働組合の目的は達成されないのである。

民主的労働組合が、経営に協力するのは、第一に、労働組合の目的を実現するため(組合の目的たる「従業員の長期的な経済的地位の向上」をはかるためには、企業の業績がよいことが根本的条件であるから、どうしても、この条件を確保しなければならないという理由)であり、第二に、経営が協力するに値するか否かの自主的判断にもとづくものである(経営の志向が正しければ、これに協力することが、組合の目的達成上プラスであるし、経営の志向が誤っていれば、その修正・改善をはからなければ、組合の目的を達成できない。この点を自主的に判断しなければならない)。

すなわち、「御用組合」が、「目的もなく、理論もなく、ただ経営に迎合して御用をつとめる」のとは、根本的に異なって、「労働組合の目的達成のための正しい路線として自主的な判断にもとづいて、経営に協力する」のが、「民主的労働組合」なのである。

このような観点からすれば、「民主的労働組合」がしっかり確立されるために、とくに重要なことは、
《第一》に、民主的労働組合の理論・路線を明確にすること(より具体的にいえば、「組合綱領」などにより、これを明確化すること)、
《第二》に、それを(一般的には、会社と対立するのが組合の本来の姿だといったムードがないとはいえない)組合員にしっかり教育し、周知徹底させることにある、
といえよう。

なぜならば理論なき盲目的労使協力は、多分に組合の(本来の意味での)「御用化」の危険をはらむものだからである。

もちろん、このような労働組合運動が実現し、正しい労使のあり方が実現されるためには、なによりも、正しい経営理念が、企業経営において確立されていなければならない。経営者が、企業を私物化し、利益獲得の手段として従業員を扱うといった、時代錯誤の十九世紀的「利益第一主義」に固執するところでは、その対極に、同じく時代錯誤の十九世紀的な「マルクス主義」に固執し、「階層闘争主義」に偏執する左翼組合が発生することも避けられない。そのような経営者は、自ら左翼組合を発生・拡大させる土壌をつくりだし、経営を荒廃させているのである。正しい経営理念の確立が、正しい労使関係をつくりだす。これをなさずして、組合の正しい姿を望むのは、虫がよすぎるものだといえよう。
そこで、次節では、これからの日本の企業における経営理念のあり方を解明したい。

 

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記事監修者

栗原 誠一郎
大阪大学基礎工学部化学工学科卒業。
三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社(旧三和総合研究所)に入社。
経営コンサルタントの中核メンバーとして、人事関連分野を中心に活動。

2016年2月、20年来の業務提携関係にあった株式会社日本経営開発研究所にシニアコンサルタントとして入社。
2017年4月、株式会社日本経営開発研究所の代表取締役所長に就任。

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