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台湾の未来(後編)

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こんにちは!栗原誠一郎です。

「台湾」を象徴する1枚の絵

台北にある総督府には台湾を表現した「船」の絵が展示されています。

絵総督府のガイドの方の説明では「台湾は今では漢民族が9割を占めているが、もともとは原住民や動物が暮らしている島だった。それがオランダ、清、日本、国民党と統治者が変わって今の台湾がある。その台湾の歴史をこの絵は端的に表している。」とのこと。

中国の台湾統一に対する執着を見ていると、台湾が昔から中国の領土であったかのように思えますが、そもそも台湾が歴史上に認識され始めたのは16世紀中期からです。

しかし、その頃の台湾は、上述したように、原住民や動物が暮らしていた未開の島でしかなかったのです。

その台湾を初めて統治したのがオランダ(東インド会社)で、1624年の事です(総督府の絵に描かれている旗は東インド会社のものです。)。

その後、1662年、中国大陸で満州族が明朝を滅ぼす過程で、大陸を追われた明の残存勢力、鄭氏が台湾を占拠。ここで初めて漢民族による統治が成り立ったことになります。

ですが、この統治期間は短く、結局、清朝に制圧され、1683年から清朝が台湾を統治することになります。

その清朝による統治が続き、日清戦争後、1895年から日本が統治、1945年から現在の皇民党に統治が始まって現在に至るわけです。

 

化外(けがい)の地

「化外の地」とは、中華文明に於いて文明の外の地方を表す用語です。

古来、中華思想では、そうした地方に住む民族を「蛮族」と呼んでいました。中原から遠く中華文化の影響が薄かった台湾も「化外の地」だった訳です。

実際、清朝も鄭氏政権を滅ぼす為に台湾を制圧したのであり、「化外の地」である台湾を領有する事には消極的で、統治後も台湾原住民の生活域と漢人の生活域をわけ、台湾原住民を放置し続けてきました。

また同じような発想から、清朝は台湾に自国民が定住することを抑制するために女性の渡航を禁止していました。

しかし、清朝の思惑どおりにはならず、台湾の対岸に位置する中国大陸の福建省や広東省が土地不足だったことから、清朝支配を契機に多くの漢民族が台湾に移住、清朝が女性の渡航を禁止していたために、平地に住む原住民との混血が急速に進みました。

清朝が西欧列強や日本による台湾進出に危機感を覚え、本格的に台湾の統治を強化したのが1885年ですから、清朝統治時代のほぼ200年の間、台湾は「化外の地」として、清朝の統治が緩いままに、大陸からの移民およびその子孫による独自の文化・経済圏ができあがっていったわけです。

 

台湾人の日本に対する好感度が高い理由

日本が台湾を統治するという歴史がありながらも、台湾人の日本に対する好感度が高いことは有名ですね。

もちろんこれは日本のアニメや漫画に関心が高い若者の影響も大きい訳ですが、高齢層においても好感度は高い。

この理由として、日本が教育や鉄道といった社会的インフラを整備し、これが戦後の台湾の成長につながったからという見解が多いと思います。

しかし、私は、統治時代において、民主的時代が比較的長かったからではないかと思います。

日本の台湾統治時代は大きく分けて3期に分けられます。

第1期:1895年~1915年

当初、日本は軍事行動を前面に出した強硬な統治政策を打ち出し、台湾居民の抵抗運動を招いたため、1898年以降、硬軟織り交ぜた統治政策に転換、更に1902年末に抗日運動を制圧した後は、台湾総督府は日本の内地法は適用せず、台湾の社会風俗などの調査を行い、その結果をもとに台湾独自の政策を立案して行きました。

第2期:1915年~1937年

この時期、西洋諸国の植民地統治の権威が失墜し、世界的に民族主義が高揚。日本も同化政策を推進するものの、地方自治を拡大し、1935年には台湾人の政治参加への道も開かれました。鉄道や教育といった社会インフラの整備が進んだのもこの時期です。

第3期:1937年~1945年

1937年に日中戦争が勃発、これを契機に台湾を戦争推進のための資源供給基地にするために皇民化政策を推進します。皇民化というのは結局台湾人の日本人化で、戦争末期の日本もそうであったように、「日本という国」のためにすべての自由が制限され、命も投げ出すのが当たり前というように思想を強制されていったわけです。

このように日本の台湾統治時代を振り返ると、第1期から第2期までの約40年間は、比較的自由があったことが分かります。だからこそ、日本に対する印象が良いのだと思います。

逆に、戦後、国民党の軍人や官僚が、台湾人に対し横暴な統治を行うと、国民党に対する抵抗運動が激化しました。

最終的には国民党に弾圧されましたが、台湾人の抑圧に対する抵抗心は非常に強いことが分かります。

 

台湾の民主化

国民党が抵抗運動を弾圧するために1947年に敷いた戒厳令は、1987年に国民党初代党首である蒋介石の息子で総統職を世襲した蒋経国が解除するまで約40年続きましたが、その間も抵抗運動が途絶えることはありませんでした。

特に1970年代以降経済成長が加速すると、民主化を求める運動も加速。地方政治の舞台では国民党以外の議員も生まれ始めます。

民主化の流れは止めることはできないと悟った蒋経国は1986年、国民党以外の政党である民主進歩党の結党を黙認したのでした。

こうした流れの中、国民党自身も変わりはじめます。

蒋経国政権の副総統だった李登輝が蒋経国の死去により総統に昇格。本省人(1945年日本降伏以前から台湾に移住していた人々とその子孫)が初めて台湾を統治することになります。

李登輝は更に民主化を進め、総統直接選挙を実現し、1996年、台湾史上初の民選総統として第9代総統に就任しました。

以降、現在に至るまで20 年以上にわたり台湾総統は直接選挙によって選ばれています。

 

抑圧への抵抗と中台関係

このように台湾の歴史を振り返ってみると、台湾の人々は運よく統治者からの抑圧から逃れていた期間が長く、また抑圧する統治者に対しては抵抗を繰り返してきたことが分かります。

言語学者による調査(黄宣範『言語社会與族群意識』1995年)によると、台湾の民族の構成は、先住民族が2%、福建省にルーツをもつ福佬人が73%、広東省にルーツをもつ客家人が12%、外省人(1945年日本降伏後に台湾に移住した中国大陸住民の子孫)が13%となっており、先述したように抑圧から逃れ、抵抗してきた人達の子孫が、今の台湾人なのです。

実際、過去、中台関係が緊迫し、中国が武力行使をちらつかせるなど強硬姿勢を見せる度に、国民の反中感情は増大、総統選にも大きく影響していきました。(1996年、2016年)

 

台湾の未来

台湾の対中政策を所管する大陸委員会が2019年5月に発表した最新の世論調査で、中国が提唱する「一国二制度」による台湾統一に反対する人が83.6%に上り、賛成の5.6%を大きく上回りました。

また、台湾の政治大学選挙研究センターが毎年調査している、台湾人のアイデンティティー調査ではグラフにあるように、この20年間の間に自分たちは「中国人ではなく台湾人」であると考える人が増えて行っています。

香港の一国二制度がなし崩しになっていっているのを現実に見ている中で、いくら中国が「台湾は同胞」と言って統一を呼びかけても、今後も「台湾人」の人々が中台統一に向かうことはないでしょう。

しかし、こうなると中国側には武力による統一しか手段がなくなります。21世紀中葉までに「中華民族の偉大な復興の実現」を達成するために、敢えて武力を行使するという選択は、南沙諸島を武力占拠するのとは違い、さすがに現実的ではないでしょう。

経済的なつながりは、お互いに維持しつつ、統一問題は後の世代にまかせるという結論しかないとは思いますが、中国の動きを今後も注視したい所です。

さて、皆さんは、台湾の未来、中台関係の未来をどのように予想しますか?

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記事監修者

栗原 誠一郎
大阪大学基礎工学部化学工学科卒業。
三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社(旧三和総合研究所)に入社。
経営コンサルタントの中核メンバーとして、人事関連分野を中心に活動。

2016年2月、20年来の業務提携関係にあった株式会社日本経営開発研究所にシニアコンサルタントとして入社。
2017年4月、株式会社日本経営開発研究所の代表取締役所長に就任。

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