第1部 現代企業の経営理念
第1章 企業とは何か?
第3節 現代企業の存立要件
企業は「人間の物質的生活を維持・向上させる場」であり、そのようなものとして、存続し、成長しつづけなければならない。それでは、現代の自由主義経済下の企業は、いかなる社会的条件・要件を満足させなければ、存立・存続できないのであろうか。本節では、この点についての歴史的・理論的な検討・整理を行なう。
(1) 企業の第一の存立要件=「利益」
自由主義経済のもとで、企業が存立できる条件はなにか。誰もが、まず第一に、それは「利益」であると答えるであろう。ところで「利益」なくしては企業が存立できないということは、きわめて当たり前のこととしてうけとられているあまり、その理由、すなわち、なぜ利益なくしては企業が存立しえないかという社会的理由は、案外明らかにされていない。
利益は、売上から費用を差し引いた残余である。すなわち、売上-費用=利益である。
①もし、すべての企業が、売上=費用であったら、つまり、売上がちょうど費用をつぐなうだけであったら、次の年も同じ規模で経済活動が継続されるにすぎない。
②また、すべての企業が、売上<費用であったら、すなわち、売上が費用をつぐなわなかったら、次の年の経済活動は縮小していかざるをえない。
③売上が費用を上回り(売上>費用)、利益があがる場合にのみ、経済活動の拡大・成長は可能になるのである。
この間の事情を簡単に例解してみると、次のようになる。単純化のため、減価償却費は一応無視し、費用としては、原材料費分が90単位、人件費分が10単位で、この費用で生産が始まるとする。
①もし生産物の価値・生産高(売上高)が100であれば、すなわち利益がゼロであれば、次年度も同じ規模の原材料費90、人件費10で生産を継続するほかはない(技術革新はないものとする)。経済規模は変わらず、人件費水準(生活水準)も変わらない。
②また、生産物の価値・生産高(売上高)が90にしかならなかったとすれば(そして技術革新がなく、原材料費と人件費の比率が変わらなければ)、すなわち、損失が10でると、次の年は、原材料費81、人件費9で、生産が行なわれざるをえない。経済規模は縮小せざるをえず、人件費水準(生活水準)は低下せざるをえない。
③生産物の価値・生産高(売上高)が費用100を上回って110となったとき、すなわち、10の利益があがったときには、利益10のうち、9が原材料費の増加分、1が人件費の増加分として投下され、次の年は原材料費99、人件費11という拡大した規模をもって、生産を行なうことができ、人件費水準(生活水準)は向上する。
①を年々同じ規模で経済活動が行われる「単純再生産」、②を年々経済活動の規模が縮小していく「縮小再生産」、③を年々経済活動の規模が拡大していく「拡大再生産」、と呼ぶ。単純再生産のもとでは、社会の富が増えもしなければ減りもしない。したがって、生活水準は下降しないが上昇もしない。縮小再生産のもとでは、社会の富が減少の一途をたどり、生活水準が低下していく。拡大再生産の場合にだけ、社会の富は増加し、新たに社会に送りこまれる増加労働人口分の雇用をまかない、生活水準を向上させていくことが可能になるのである。
この拡大再生を可能ならしめる原資が「利益」にほかならない。国民経済全体が、したがってまた、それを構成する個々の単位である企業が、「利益」をあげることなくしては、国民経済の発展、雇用の確保・拡大、生活水革の上昇は不可能なのである。
したがって、「利益」は(それがいかなる名称で呼ばれようとも)、拡大再生産の原資として、経済成長とそれによる生活水準向上の原資として、体制の如何を問わず、歴史の時代の如何を問わず、社会発展の不可欠の条件である。
これが「利益」の基本的性格である(下図参照)。
利益は経済成長のための不可欠の条件なのであって、自由主義経済のもとでは、この条件を確保するために、利益のあがらぬ企業は存続させないという制度的約束がなされている。
これが「利益」が企業の第一の存立要件となる「社会的根拠」なのである。
(2) 企業の第二の存立要件=「労働組合との協力」
以上のように、利益は、将来にわたる経済成長・生活水準向上の原資にほかならないが、現代の企業は「利益」さえあげれば存続できるであろうか、否である。
十九世紀の企業は確かに「利益」さえあげれば存続できた。しかし、二十世紀の企楽は、「利益」要件さえ満足させれば存続できるのではない。現代の企業が「利益」だけで存続できるかのようにいうのは、歴史的・理論的な思考が不足しているか、または、十九世紀の企業を固定化してとらえ、これが二十世紀の企業にもあてはまるように考えるイデオロギー的偏見にとらわれているか、のいずれかである。
現代の企業は、なぜ「利益」要件だけでは存立できないのか。この点を考えるためには、十九世紀の代表的企業モデルと、二十世紀の代表的な企業モデルを対比してみるとよい。
①十九世紀資本主義のもとでの代表的な企業は、軽工業たる綿工業を産業基盤としており、その技術的基礎も単純であって、労働集約型で規模も小さかった。道正規模が小さかったので、全額個人出資で企業が設立され、企業の所有は、個人所有を基本とし(例外的に合資会社があったにすぎない)、企業を個人所有する資本家が、経営の指揮もとった。
このような企業では、資本家のスタッフたる経理係、機械の保守・修理のためのエンジニアをのぞいて、知的労働はなく、ほとんどが肉体労働者で占められていた。
労働組合は、社会的に認められず、団結そのものが刑法上の罪になり、ましてや争議行為などは刑法上、民法上の責を問われた。このような条件のもとでは、平均的な資本家が、所有の力にモノをいわせ、労働組合が社会的に公認されていないことに助けられながら、労働者に正当な賃金を払わず、人件費を押し下げて利益をあげ、自分の個人資産たる企業を大きくすることにもっぱら関心をもったことは当然といえる。
十九世紀の企業は、そのような意味で「利益」さえあげれば存続しえたといってよい。
②ところが、二十世紀初頭に成立した、今日のビッグ・ビジネスの原型は、このような十九世紀型の企業とは根本的に異なるものである。
《第一》に、十九世紀後半の技術革新(第二次産業革命と呼ばれる電機・化学・鉄鋼を中心とした技術革新)をテコとして、産業構造は、重化学工業化し、産業は資本集約型となり、企業の道正規模は、巨大なものになった。個人の出資では、もはや企業の設立は不可能になり、株式を発行して社会のすみずみから、広く資金を動員して、はじめて企業は設立できることとなった。すなわち、株式会社の成立である。株式会社の成立とともに、所有は分散・流動化し、所有の力は後退し、経営の指揮・統率が、複雑・高度化するにつれて、資本出資者とは区別された経営者の経営支配が成立する。企業はもはや特定個人の私物ではなく、社会性を強めるのである。
《第二》に、上記のような企業構造の変化に対応し、十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて、労働基本権が法的に確立し、労働組合が社会的に認められることになった。
このような事情のもとでは、目さきの私利私欲だけで経営を動かすことは、もはやできず、また、労働組合の存在を無視しては、経営を行ないえなくなった。否、むしろ、労働組合と協力関係をとりむすぶことのできない企業は、労働組合の合法的な力を背景にした反抗によって、存続することさえできなくなるのである。
したがって、現代の企業は、労働組合との協力なくしては、存立できない。目さきの利益のために、従業員の物質的・精神的幸福を無視する企業は、労働組合の反抗によって、存続を危うくさせられる。すなわち、現代の企業は、「労働組合との協力」を「利益」とならんで、不可欠の存立条件とするのである。
(3) 企業の第三の存立要件=「社会的責任の遂行」
現代の企業は、「利益」要件さえ満たせば存立・存続しうるものではなく、「従業者の幸福」をはかり、労働組合と協力関係をむすぶことができなければ存立することができない。この点は(1) (2)をつうじて検討したとおりである。
しかし、現代の企業の存立要件は、これに尽きるものではない。現代の企業は、企楽体「内部」において、従業者の幸福をはかり、利益をあげて、自企業の成長をはかるだけでは、十分ではない。二十世紀初頭のビッグ・ビジネスの成立、それ以降の発展は、企業の社会的性格をいっそう強め、企業の「社会的影響力」「対外的影響力」をいっそう強めた。巨大企業の活動が、もし適切でない場合には、社会に与える損害ははなはだ大きくなる。とくに欧米では、1920年代以降、市民の立場からの企業批判にも対応しながら、企業の社会的に不適正な活動を法的に規制する傾向が生まれてきた。たとえば、過度の投機的行為の規制や、産薬廃棄物に関する規制がそれである。日本においても、とくに1970年代以降、このような動きが活発化するにいたった。
企業活動への社会的規制は、一般に経済の高度な発展を前提とする。経済水準が低く、生活水準がまだ低い段階にあっては、企業の不適正な活動を規制することより、企業活動そのものを活発化せしめ、経済成長と生活水準を向上させることが、優先されざるをえない。途上国では、公害規制よりも、企業活動をいわば無規制の状態において活発にし、雇用を拡大し、貧困を解決することが主要課題である。すなわち、経済水準が先進国化し、貧困の問題が基本的に解決され、快適な市民生活の実現が経済の中心的な課題となるような段階において、企業活動への規制がはじめて問題となる。
欧米において1920〜30年代に、また日本において1970年代に、企業の社会的規制が強まったのは、以上の背景にもとづく。
このような事情を考えるとき、現在の先進国における企業は、不適正な企業活動に対する社会的規制・国家的規制を遵守することなくしては、存立・存続することはできないのである。
「企業の社会的責任」とは、企業が外部社会に対して果たす責任のことをいう。積極的には、企業が納税行為をつうじて、国家社会を財政的にささえること、消極的には、社会に損害を与えないこと(最小限、法的規制を遵守すること)をいうものである。そして今日の進んだ企業においては、地域社会や国家に対して「積極的な貢献」をすることを重要視するようになりつつある。
現代の企業は、このような積極的・消極的な「社会的責任」を果たすことなくしては、存立・存続することができない。これが企業の第三の存立要件である。
以上、本節で展開してきたところをまとめれば、現代の企業の存立要件は三つに要約される。
《第一の要件》は、「利益」をあげることである。企業は利益をあげ、蓄積し、これを再投資し、拡大再生産、経済成長を可能ならしめ、生産水準の向上を可能ならしめなければならない。
《第二の要件》は「労働組合との協力」関係を実現し、「従業者の幸福」をはかることである。企業は、適正な賞金を支払うことをはじめとして、従業者の幸福をはかり、従業員・労働組合との協力関係を実現して企業の成果をあげ、その成果を公正に配分しなければならない。
《第三の要件》は、「社会的責任」を果たすことである。消極的な意味で社会に損害を及ぼさないことはもちろん、「納税」等をつうじて、積極的に国家・社会に貢献できなければならない。