こんにちは。
栗原誠一郎です。
悪人こそが救われる
いきなり何を言っているのかと思われたかも知れませんが、これは浄土真宗の宗祖である親鸞上人の教えです。
浄土真宗では、阿弥陀仏は自分を信じて極楽浄土に行きたいと願う人々をすべて救ってくれるとしています。
善人は自分が善行をしているので救われると思っています。つまり自力で極楽浄土に行けることを信じているので、阿弥陀仏の救いの対象からは外れている訳です。
したがって、その善人の対極である悪人こそが阿弥陀様の救いの対象になるのです。
我々は本当に善人か?
一方で、多くの人は自分は善人だと思っているかもしれませんが、どんな小さな悪をも見逃さない仏様から見れば、私たちは皆、悪人なのです。
例えば、他人の為に行っていると思うことであったとしても、少しの私心もないかと問われれば、否定はできないでしょう。
また、そもそも自分の行動の指針になっている善悪の基準でさえ、「自分の」判断基準でしかありません。
このように我々は結局、自分の欲望に左右されている存在、つまりは「悪人」なのです。
「悪人こそ救われる」という教えは、「悪人」である自分が常にいることを、自分を振り返ることで確認し、善人ぶって満足しないようにという戒めでもあるのです。
自分の「正義」を俯瞰してみる
現代社会において、自分勝手な正義を振りかざして、他人を傷つけるという問題は現実によく起きています。SNSの炎上もそうでしょうし、パワハラもそうでしょう。
やっている人は、自分は「善人」であって、世の中の為、相手の為にやっていると思っています。
一方で、今、私が行っている指摘そのものも、「自分がつくった正義」に基づいています。したがって場合によっては「悪」にもなりえます。
何が「正義」で何が「善」なのかは、本質的には分からないのです。
だからこそ、自分のやっていることを自分の周りも含めて、常に俯瞰的に見つめてみることが大切なのだと思います。
さて、皆さんはどうでしょうか?
皆さんは善人ですか? それとも悪人ですか?
自分が良かれとおもってやっていることを、一度振り返ってみることが必要かもしれませんね。